は じ め に

ご挨拶


料理人として三十余年。ふりかえると様々な経験、多くの先達に学び、良い出会いをさせていただきました。幾多の季節の旬食材と向き合い、その中で料理人としての様々な想いもふくらみました。

残る料理人としての人生を、何にも縛られず思う存分料理と向き合い、自ら思い描く滋味の美味しさ、食す空間も大切にし、五感で愉しむ日本料理を追究したい。そんな想いからか、様々なご縁で導かれるように龍に縁深い龍間の地で、大文字屋の家屋と屋号を継承し、開業することとなりました。

当店の料理人は、私ひとり。この店を誰かに継ぐこともありません。
あと幾度かの巡る季節で、お越し頂くお客様へ、100年の時を刻んだ大文字屋の佇まいとともに、「滋味一心」の日本料理をお楽しみいただければ本望です。

毎季節お越し頂いても、新たな発見をしていただけるよう一心を注ぎつつ、皆様のお越しを心からお待ち申し上げております。

店主 西尾 達哉

店主経歴高麗橋吉兆 27年間勤務
星野リゾート 星のや 軽井沢 料理長
星のや 京都 料理長
パティシエール
西尾 まいか
略歴辻製菓専門学校卒業後、「GOKAN 五感」にてパティシエールとして6年勤務。
その後、大文字屋 龍田川 デザート・お土産御菓子 担当。

龍田川の四季


懐かしさを遺す佇まいに、四季折々の室礼で、皆様をお迎えします。
時を気にせずお過ごし頂けるのも、当店のおもてなしのひとつ。
どうぞ、ごゆっくりおくつろぎ下さい。

大文字屋の歴史


商いの街・大阪の庶民に、商売の神として信仰を集めた生駒聖天(宝山寺)。聖天さん参りの山道中程に位置するここ龍間に、江戸時代から続く大文字茶屋がありました。茅葺き屋根だった茶屋は、お参りの人が足をとめる休み処として、「だいもんじゃ」と呼び親しまれ、聖天さん参りには欠かせない存在となりました。また、旅籠としても愛されていたといいます。
時代とともにその役割を終えた峠の大文字茶屋は、築100年の伝統日本家屋(古民家)だけがその往時の面影を遺し、大文字屋のご親族がこの建物を大事に守られていました。 この立派な家屋と、地元に親しまれてきた大文字屋の名を継承し、日本料理「大文字屋 龍田川」として、80年ぶりに峠の茶屋が復活します。
この大文字屋には、旅籠時代に使われていた当時を感じる椀や皿などの味のある器が遺されており、料理の器として皆様の目にふれることもあるかもしれません。

龍間に伝わる龍の伝説


昔むかしの話です。
大旱ばつが長い間続き、雨が降りませんでした。
世には、疫病がはやり、飢餓に人々は苦しみました。
時の聖武天皇は、雨を降らせようと多くの僧侶や祈祷者を集めました。高僧 行基が、法華八講という雨を呼ぶ仏教儀式を行った時のことです。
龍が現われ、「私は天に住む若い龍です。私の大龍王は雨を降らさないようにしていますが、私はあなたの仏恩に報いたいと思います。しかし、大龍王は怒って私を殺すでしょう。その時きっと雨が降ります」といって消えたのです。 するとにわかに天がまっ黒になり、大雨が降りだしたのです。雨は、大地を潤し、山野の草木は蘇がえり、人々は大変喜びました。

ところが、雨がやみ青空になると、空から龍の身体が3つに裂けて落ちてきたのです。 天皇や行基は深く心を打たれ、その身の落ちた所にそれぞれ寺を建立しました。 頭の落ちてきた所に龍頭寺(龍光寺)、尾の落ちた所に龍尾寺(四條畷市)、そして、腹の落ちた所に龍腹寺(龍間 (けん)寺) を建立し、若い龍の魂を祀ったのです。

龍間寺のある この地「龍間」は、そんな龍にゆかりのある場所なのです。